シロクマ先生から、先日出版された本を送っていただいた。

タイトルは「何者かになりたい」。

ちょうど一年ほど前に、先生から寄稿された記事の続編と考えたらよいのかもしれない。

「何者かになりたい」という望みはまだ死に絶えてはいなかった

「えっ? その……『何者かになりたい』って気持ちって、今の若い世代にも通じるんですか?」

私がそう問い直すと、彼は

「そういう気持ちを持っている人はまだいますし、私にも『何者かになりたい』気持ちはあります。」

とはっきり答えてらっしゃった。

「何者かになりたい」という欲求は、まだ死に絶えてはいなかったのか。

(Books&Apps)

上の記事では、先生は「大人にばれないように「何者かになりたい」と熱望する若者には共感しかない。」と締めくくっていた。

 

 

さて、私が「何者かになる」というフレーズに出会ったのは、2012年に出た、朝井リョウ氏の著作が初だった。

直木賞受賞作、ということで読んでみたのだ。

 

当たり前だが、「何者」=「お前は誰だ?」という意味ではない。

作中の「何者」は、「ひとかどの人物」「理想の姿」といった使われ方をしていた。

「いい加減気づこうよ。私たちは、何者かになんてなれない」

「自分は自分にしかなれない。痛くてカッコ悪い今の自分を、理想の自分に近づけることしかできない。みんなそれをわかってるから、痛くてカッコ悪くたってがんばるんだよ。カッコ悪い姿のままあがくんだよ。だから私だって、カッコ悪い自分のままインターンしたり、海外ボランティアしたり、名刺作ったりするんだよ」

(朝井リョウ 何者 新潮文庫)

「何者」では、悩む学生が就活を通じて、「一目置かれる存在」になろうとする姿が描かれている。

 

また、シロクマ先生も著書の中で、肩書や業績などを通じて、「他者から認められる」ことが、「何者かになる」と考えている人が多い、と書いている。

実際、「何者かになりたい」と願っている人から詳しくお話を聞くと、その内実は

「まだ手に入れていないアイデンティティが欲しい」

「アイデンティティの一部と言えるような肩書やアチーブメントが欲しい」

であることがほとんどです。

確かに、朝井リョウの「何者」では、「認めてほしいのに、認められない人々」が感情をこじれらせて、病んでいく描写がある。

 

表面上は仲間を取り繕っている学生たちが、誰かの成功をきっかけに、嫉妬が噴出し、人間関係が崩壊していくのだ。

 

私の方が格上の会社に内定した

彼の内定先はブラックだ

広告代理店と言ってもクリエイティブ職じゃなくて営業職でしょ……

 

そうしたマウントの取り合いは、まさに「就活あるある」である。

シロクマ先生の言う通り、若者はアイデンティティが不安定なため、こうして「何者かになりたい」と強く願うのだろう。

 

 

だが、まさにこの前提とされている「他者から認められたい」という感覚。

分かる……と言いたいのだが、オッサンの私は、おそらく半分も理解できていないかもしれない。

 

そもそも、30、40にもなると、身の回りで「他者から認められること」を強く意識している人は、かなり珍しい。

もちろんFacebookやTwitterで、「私すごいぜアピール」をするオッサンは皆無ではないのだが、多くの人は承認欲求とも、「何者かになりたい」とも無関係であるかのように思える。

 

私自身、今までのキャリア上、自分が楽しめるか、面白いかどうか、を気にしたことはあったが、

「何者かになれるかどうか」

を気にしたことはなかった。

 

もちろん、きちんとした調査をしたわけではないので、単に私の周りにそういう人が多いだけなのかもしれないが、精神科医であるシロクマ先生のところには、そういう人が集まってくるのかもしれない。

 

 

そもそも、オッサンになると、人生の幸福度という観点からは、他者の評価は、ほとんど意味がない、と理解できるようになる。

「アイデンティティを、他者の評価に依存してはならない」とも思うようになる。

 

そして何より。

いい年こいて「虚栄心むき出しの人」は結構痛い……だけならよいのだが、周囲と問題を起こしやすい。

 

実際、コンサルティング会社にいたころ。

クライアントの組織のトップ(結構なオッサンたちが多かった)が強く「何者かになりたい」と思っているケースは、超めんどうだった。

 

社員に「すごい社長」と言われたい。

取引先に「いい会社だ」と言われたい。

社長同士の会合で「儲かっててうらやましいですね」と言われたい。

いい車を乗り回して「成功者アピール」をしたい。

今でも若い女性にモテることを自慢したい。

 

その場合、多くの関係者を巻き込んで、悲惨なことになる。

 

例えばある会社は、社長が「自分を持ち上げてくれる」愛人を取締役にしてしまい、会社の数字も見栄を張ったばかりに、粉飾決算→破綻で、結局会社がなくなってしまった。

関係者はさぞかし苦労したことだろう。

 

また別の会社では、社長が会社の金を怪しげな投資につぎ込み、本体の事業が危うくなっているケースもあった。

話を聞くと「マルチまがいのことを始めた」という。

社員は社長を全く褒めないので、マルチ組織の中で認められていくのが、心地よかったのだと聞いた。

 

いずれにせよ、いい歳こいて「何者かになりたい」は、始末に負えない。

 

シロクマ先生の本は、そのような人の救いになるのだろうか。

また、「何者かになりたい」という人が、いったいどんなことを考えている人たちなのか。

興味のある方は、ぜひ手にとってみていただければと思う。

 

 

【お知らせ】
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第4回目のお知らせ。


<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>

第4回テーマ 地方創生×教育

2025年ティネクトでは地方創生に関する話題提供を目的として、トークイベントを定期的に開催しています。

地方創生に関心のある企業や個人を対象に、実際の成功事例を深掘りし、地方創生の可能性や具体的なプロセスを語る番組。リスナーが自身の事業や取り組みに活かせるヒントを提供します。

【日時】 2025年6月25日(水曜日)19:00–21:00
【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。

【ゲスト】
森山正明(もりやま まさあき)
東京都府中市出身、中央大学文学部国史学科卒業。大学生の娘と息子をもつ二児の父。大学卒業後バックパッカーとして世界各地を巡り、その後、北京・香港・シンガポールにて20年間にわたり教育事業に携わる。シンガポールでは約3,000人規模の教育コミュニティを運営。
帰国後は東京、京都を経て、現在は北海道の小規模自治体に在住。2024年7月より同自治体の教育委員会で地域プロジェクトマネージャーを務め、2025年4月からは主幹兼指導主事として教育行政のマネジメントを担当。小規模自治体ならではの特性を活かし、日本の未来教育を見据えた挑戦を続けている。
教育活動家として日本各地の地域コミュニティとも幅広く連携。写真家、動画クリエイター、ライター、ドローンパイロット、ラジオパーソナリティなど多彩な顔を持つ。X(旧Twitter)のフォロワーは約24,000人、Google Mapsローカルガイドレベル10(投稿写真の総ビュー数は7億回以上)。

【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/6/16更新)

 

 

【著者プロフィール】

安達裕哉

元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。

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